〜トロイメライ Träumerei 8月号〜
第5回 ライプツィヒは楽しい!(後編)
<< - 2009.08.01 - >>

先月号に引き続きライプツィヒ特集です。後編はシューマンと同時代に生きたロマン派作曲家たちに関係の深い場所をご紹介しましょう。

☆メンデルスゾーン(1819〜47)ゆかりの場所

メンデルスゾーンはこの街の音楽界に多大な貢献をしました。その代表例がゲヴァントハウス管弦楽団ライプツィヒ音楽院。ゲヴァントハウス管弦楽団は歴史が古く、現在でもヨーロッパ有数のオーケストラですが(今年の秋にも来日公演が予定されています)、メンデルスゾーンは1835年に音楽監督に就任し、自作およびシューマンの作品を数多く初演し、このオーケストラを黄金時代へと導いたとされています。

メンデルスゾーンは絵も得意!

また、1843年には自ら資金を集めてライプツィヒ音学院を創設します。当時ヨーロッパにあった音楽学校は専攻実技だけを教える学校ばかりでしたが、メンデルスゾーンは実技だけでなく音楽理論や作曲といった音楽の総合教育を目指しました。これは今の音楽大学のさきがけですね。クララやシューマンもこの学校で教鞭を取り、後に日本から滝廉太郎も留学しました。今でもこの学校では多くの学生が世界中から集まって学んでいます。メンデルスゾーンがライプツィヒで暮らしていた家は復元され、今ではメンデルスゾーン記念館となっています。彼は水彩画を多く残しており、この記念館には彼の絵をプリントしたポストカードも売っています。お土産にお勧めです!

アウアーバッハスケラーの入口

☆リスト(1811〜86)ゆかりの場所

続いてはリストの足跡です。彼の書いた有名なピアノ曲に「メフィスト・ ワルツ〜村の居酒屋の踊り」という曲があります。これは「ファウスト」の 物語に登場する一場面(悪魔メフィストフェレスがファウストを連れて居 酒屋に行き、そこでヴァイオリンを演奏する)を描いた音楽ですが、なんと その居酒屋がライプツィヒで今でも営業しております。1530年に開店したこのアウアーバッハスケラーというお店では伝統的なドイツ料理がいただけます。入口のファウストとメフィストフェレスの像が目印です。

☆シューマン(1810〜56)ゆかりの場所

最後にシューマン。シューマンが1840年から44年まで約4年間暮らした家が、現在ではシューマン・ハウスとして公開されています。メンデルスゾーンや童話作家アンデルセンもこの家を訪れ、シューマンと親交を深めたといいます。もう一つ忘れてならないのがカフェ・バウム。1694年に開店したこのカフェには多くの文豪が足繁く通いましたが、シューマンもこのカフェの常連で、毎晩のように仲間とたむろしては理想の音楽について熱く議論を交わしていたようです。カフェ・バウムも今でも営業しており、私も以前ここでおいしいコーヒーとケーキをいただきました。シューマンはカフェ・バウムに集まった仲間とともにやがてある行動を起こすことになるのですが、その話はまた後日…。

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