〜トロイメライ Träumerei 10月号〜
第7回 評論家シューマン誕生
<< - 2009.10.01 - >>

《アベッグ変奏曲》を出版し、音楽家の道を順調に滑り出したかに見えたシューマンですが、ピアノ教師ヴィークは娘クララにつきっきりでシューマンに十分なレッスンをする時間がなく、シューマンは次第に不満を感じていきます。そして再び「書くこと」への情熱も高まっていきます。彼は小説や詩を書き、自分の意見などを日記に細々と綴りました。当時の彼の日記をのぞいてみると、「ときどき僕の中の客観的な人間が主観的な人間から完全に分かれようとしたり、あるいは僕自身が仮象と実在の間に、形姿と影の間に立っていたりするような、そんな気がするのだ」という不思議な記述があります。一人の人間の中に2つの自我がある、というテーマは当時のロマン派文学でよく扱われる題材でしたが、シューマンは彼自身の中にそういった兆候をとらえていたのです。シューマンは自分の中の2つの対照的な人格にそれぞれフロレスタン、オイゼビウスという名前をつけ、やがて彼らを日記にも登場させます。彼らは日記の中で、理想の音楽や新しい芸術の課題について意見を戦わせるようになります。

またシューマンは身近な友人たちにも架空の名前を与え、自分の日記や小説に登場させました。やがてこの友人たちにフロレスタンとオイゼビウスを加えたメンバーは「ダヴィット同盟」と名付けられるのですが、このように自分自身や仲間と対話を重ねる中で、シューマンは巷にはびこる俗悪な音楽を排除して本当の芸術を目指すべきだ、そして自分たちがそれを発信すべきだという思いに至ります。

それはまず評論という形をとって具体化しました。当時まだ世間に知られていなかったショパンを激賞する批評を音楽新聞に投稿したのです。その批評は的確であると同時に文学的な内容を持っていました。フロレスタン、オイゼビウスの他にヴィークをモデルにしたと思われるラロー先生という人物も登場し、まるで物語のようだったのです。ここに作曲家としてのシューマンの他にもう一つの顔である評論家シューマンが誕生しました。書くことと音楽とを結びつける「音楽評論」は、音楽と文学の両方の資質を持っていたシューマンだからこそなし得たことと言えます。

来月はさらに音楽評論家としてシューマンが行ったこと、そしてダヴィット同盟についてご紹介します!

シューマンの日記
当時の音楽サロンの様子。
この音楽会は大学教授ティボーの家で行われたもので、
シューマンもたびたび参加していた。
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