〜トロイメライ Träumerei 12月号〜
第9回 音楽新報
<< - 2009.12.01 - >>

シューマンが仲間たちと創刊した『音楽新報』はどのような雑誌だったのでしょうか。それは、それまでの音楽評論とは全く異なる、ユニークで画期的な音楽雑誌でした。まず印象的なのは文章のスタイルです。華麗で想像力にあふれており、会話の形で書かれた物語風のもの、分析的なもの、エッセー風のものなどバラエティーに富んでいました。さらに読者に興味を抱かせたのは、「ダヴィット同盟」の存在です。彼らは寄稿者リストの大半を占め、毎号代わる代わる執筆して意見を戦わせていました。10月号でも少し触れましたが、このダヴィット同盟というのは、実は、シューマンの身近な友人たち(クララやその父ヴィーク、当時のシューマンの恋人エルネスティーネなど)や、自分の対照的な2つの性格を投射させた2人の人物(フロレスタンとオイゼビウス)で成る架空の音楽集団でした。ちなみに「ダヴィット」とはフィリシテ人と戦ったことで有名な旧約聖書のユダヤ王のこと。ヨーロッパ諸語ではフィリシテ人は「芸術に関心のない無趣味な人」の代名詞として使われています。シューマンもその意味を踏まえて、俗悪な音楽や音楽家に対抗する旗頭として自らと仲間を「ダヴィット同盟」と名付けたのでした。

シューマンが使ったと思われる訓練機

シューマンはベートーヴェンやバッハの音楽を理想とし、メンデルスゾーンやショパンを未来の担い手として絶賛する一方、名人芸や技量そのものを見せびらかす表面的な音楽は徹底的に批判しました。しかしその一方で、彼が技巧そのものに大きな興味を持っていたことも事実でした。シューマンはパガニーニの天才的なテクニックに心酔し、彼のカプリスをピアノに編曲していますし、『音楽新報』でも多くの練習曲を取り上げ紹介しました。自分自身も技巧的なピアニストを目指し、指の訓練機を過度に使用して、右手の中指を麻痺させてしまったりしています。このシューマンが使ったと思われる訓練機 事故により、シューマンはピアニストとしての道を断念せざるをなくなり、作曲家、そして音楽評論家として生きていくことを決意します。そして『音楽新報』も、次第にライプツィヒ以外でも読者を獲得するようになり、シューマンは評論から校正、海外レポートなど全てを一身に背負い、評論家として名声を高めていきます。

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