シューマンに関するコラム
〜トロイメライ Träumerei 9月号〜
第18回「作品3」と「作品5」
<< - 2010.09.01 - >>

先月号のお話の続きです。1833年7月13日にシューマンに宛てた手紙でクララは「私は私の分身の曲を完成させました。その中で第三の分身を作りました。」と書いています。これは彼女の作った《ロマンス・ヴァリエ》作品3のことだと思われます。そして彼女はこの曲をシューマンにプレゼントしたのです。
さらにその後彼女はこう言っています。

「私は同封したつまらない作品をあなたに捧げたことをとても後悔し、またこの変奏曲が印刷されないようにと強く願ったのですが、もう悪いことが起こってしまった以上、どうすることもできません。だから同封のものをあなたに許していただくしかありませんわ。このちっぽけな楽想をあなたが巧みに作曲してくだされば、私の側の過ちも償われようというものです。そうして頂けないかしら。早くその曲を弾いてみたくてたまりませんわ。」

クララのこの願いを聞いてシューマンが作曲したのが、同じ1833年に完成した《クララの主題のよる即興曲》作品5です。この2つの曲を見比べてみましょう。ほぼ同じテーマを使って作曲されていることがすぐに分かりますね。

シューマンの日記

クララは著名なピアニストでしたから、後年2人が結婚してからも、シューマンの作曲した曲を演奏会で弾いて世に広めました。その一方で、この曲はもう少しこういうふうに直したほうがいいとか、今度はこんな曲を書いてほしいという注文を夫に出し、シューマンはその意見を取り入れました。クララの作ったメロディーを元にシューマンが作曲することも何度もありました。つまり、2人は一つの理想に向けて協同作業を行う音楽の同志でもあったわけですが、作品3と作品5こそが、この後ずっと続く2人のパートナーシップの出発点だったと言えましょう。また、この曲のやりとりが2人の間に芽生えつつあった愛情を決定づけます。
翌1834年、シューマンはエルネスティーネとの婚約を破棄。原因は彼女が男爵の庶子であることが判明したからとも言われていますが、やはりそこにはクララの存在があったでしょう。女性としての魅力もさることながら、自分より年下ながら音楽の同士となれるクララに人生のパートナーとしての頼もしさを感じたに違いありません。しかしこれがのちに何年も続くことになる2人の長い戦いの幕開けでした… 。

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