シューマンに関するコラム
〜トロイメライ Träumerei 10月号〜
第19回 ヴィーク怒る!
<< - 2010.10.01 - >>

シューマンとクララがお互いに同じテーマで作曲したのが1833年、その翌年シ ューマンはエルネスティーネとの婚約を破棄し、1835年に入ると2人の愛は急速に 発展していきました。しかしそれはほどなくクララの父ヴィークの知るところとな ります。ヴィークは大反対。今の私たちが知るシューマンとクララは「偉大な作曲 家とその妻」という構図ですが、当時は全く違いました。かたや大活躍中の天才ピ アニストクララに比べてシューマンは音楽雑誌の編集者としては少しずつ名が知ら れるようになっていましたが、作曲家としてはほぼ無名。しかもヴィークの弟子の 一人(エルネスティーネ)との婚約を破棄したばかり。確かに親であれば良い顔は しないでしょう。それに加えてヴィークという人物、かなりエキセントリックな人 だったようです。
シューマンは母親への手紙で、ヴィークが自分とクララの利害に関することとな ると下劣、凶暴となって乱れ狂う、と書いていますし、作曲家、指揮者でシューマ ンに対位法を教えたハインリッヒ・ドルンも「ヴィークは鋭い知性を持ってはいた が、その極端に自信過剰の気質のために、自己の判断力が独りよがりであるという こと事実に惑わされることがなかった」と評しています。
シューマンの日記には、ヴィークが9歳の息子アルヴィン(クララの弟)の ヴァイオリンの弾き方が気に入らないと言って床に投げ飛ばしたのを目撃した と書かれています。ヴィークは大声で罵倒しながら、アルヴィンの髪の毛を引 っ張り、憤怒に身体を震わせていましたがたが、クララは笑みを浮かべて、楽 譜を前にピアノに向かって座っていたので、シューマンは自分が人間の世界に いるのだろうか、と自問してしまったと書いています。ヴィークは非常に有能なピアノ教師で多くのピアニ ストを育てますが、なんといっても彼の「最高傑作」は娘のクララでした。彼は日 夜娘にピアノ、歌、ヴァイオリン、作曲、音楽理論、対位法などを教え込み、12歳 の時からつきっきりでヨーロッパ中を演奏旅行します。それらの教育はみごとに開 花するのですが、娘の日記に自分の筆を入れたり、手紙を検閲するなど、管理が行 きすぎの感もあったようです。シューマンが現れるまで、クララはまさに父親と一 心同体でした。上に挙げたシューマンの日記の記述からも、クララが父親に一切反 抗することなく、父親の専制に何ら疑問を抱いていなかった様子が分かります。

1835年クララのコンサートのプログラム。自作の曲もある。


クララが天才ピアニストとして活躍するにつれ、ヴィークのピアノ教師としての 名声も上がりました。クララはヴィークにとって、ピアノ教師を続けていく上でも なくてはならない「目玉商品」だったのです。それを、どこの馬の骨とも分からな い若者に奪われるとなれば必死です。1836年の年明け早々、ヴィークはシューマン に絶縁状を送り、2人が会うのを妨害するようになります。

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