1837年 8月13日、シューマンはクララへ手紙を書きます。それは彼女の結婚の意思を改めて確認する内容でした。8月15日、クララは承諾する返事を書き(この時期の二人は会うことはおろか文通さえも禁じられ、クララの女中らの協力を得てなんとか手紙のやりとりをしている状態でした)、以後、二人はこの中間日の8月14日を婚約記念日とします。このひそやかな、しかし大きな高揚感の中でシューマンはある作品の作曲に取りかかります。《ダヴィッド同盟舞曲集》作品6です。このコラムではたびたびご紹介していますが、ダヴィッド同盟とは理想の音楽を目指して戦う、シューマンの想像上の音楽団体のことです。以前取りあげた《謝肉祭》作品9でも、ダヴィッド同盟員であるフロレスタンやオイゼビウス(ともにシューマンの分身)、キアラ(クララのこと)、ショパンなどが登場し、フィナーレには<ペリシテ人と闘うダヴィッド同盟の行進曲>が置かれていました。しかし、シューマン自身としてはこの《ダヴィッド同盟舞曲集》こそ同盟の本来の旗印と考えていたようで、《謝肉祭》が仮面なら、この作品はその素顔であると述べています。事実、全18曲からなるこの作品は、初版がフロレスタンとオイゼビウスの名で自費出版され、各曲の最後にはその音楽の持つ性格に応じて二人のイニシャル
さて、この曲は冒頭にクララのモットー(クララの作曲した《ソワレ・ミュジカル》作品6の第5曲目)が使われおり、彼女との婚約という個人的な喜びがこの作品の背景に大きく関わっていることを感じさせます。また、《ダヴィッド同盟舞曲集》の作品番号が6なのも、おそらくクララの《ソワレ・ミュジカル》の作品番号と合わせたのでしょう。
シューマンはこの曲について、「これらの舞曲には結婚式のイメージがたくさんある。それらは最も美しい興奮の中で生まれた。」と言っています。また、初版譜には「人生の行く手には幸せと不幸がともにある。幸せに満ちたときも慎みを忘れず、不幸せで辛くとも勇気を持って」という古い格言が付されていました。これは、おそらくシューマンが未来の花嫁へと贈ったメッセージだったのではないでしょうか。
《ダヴィッド同盟舞曲集》の作曲を進めながら、シューマンは9月13日(クララ18歳の誕生日)にヴィークへ結婚の承諾を求める手紙を送りました。その結果は惨澹たるもので、シューマンは喜びから一転、絶望へと突き落されますが、なんとか曲を完成させ、婚約の記念品として、この曲の豪華本をクララにプレゼントしました。しかし、彼女はどういうわけかこの作品をそれほど高く評価しなかったようです。確かに華やかで演奏効果の高い《謝肉祭》(クララはこの曲はとても気に入っていました)とは全くタイプの違う作品ですが、この曲ほどささやかな喜びや心の痛み、憧れや苦悩が、聴く人の心にそっと寄り添うような形で親密に表現された曲はないように思います。
もちろん、恋人との婚約という個人的な思いだけでなく、この曲にはシューマンの作曲家としての卓抜した技がたくさん凝らされているのですが、この時期のクララとシューマンの手紙のやりとりを読みながら曲を聴くと、愛の成就とした喜びと相手一つになれない哀しみの両方が胸に迫ってきて、どうしてもシューマンの心理的状況を重ね合わせて聴いてしまいます。