シューマンに関するコラム
コラム トロイメライ

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番外編:音楽の都ウィーン A

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番外編:音楽の都ウィーン @

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〜トロイメライ Träumerei 9月号〜
第30回 番外編:音楽の都ウィーン A

<< - 2011.9.1 - >>

先月に引き続き、リンク周辺の音楽家の足跡をたどります。まずは市立公園。ここにはシューベルト、ブルックナー、レハールなど音楽家の像が数多くあります。中でもヨハン・シュトラウス像はこの公園のシンボルで、ここで写真を撮るのはお約束となっています。

ウィーン大学の近くには、ベートーヴェンが1804年から1815年にかけて暮らしていた家(パスクァラティハウス)があります。ここはパスクァラティ男爵の持ち家で、ベートーヴェンは、この家の5階に何回か断続的に住み、交響曲第4、5、7番など、多くの作品が書かれました。ここでは手書きの楽譜や生前のマスクなどを見ることができます。

このように、ウィーンには「大作曲家ゆかりの場所」が至るところにあるのですが、中でもその数が多いのがベートーヴェン。このパスクァラティハウス以外にも「ベートーヴェンの住んだ家」はゴマンとあり、彼がかつて住んだ家の前を通らずにウィーンを歩くことの方が難しいくらいです(ちなみに、ウィーン郊外のグリンツィングには、ベートーヴェンが滞在して「第九」を作曲したと言われる家が、今では素敵なホイリゲ(ワインの新酒を飲ませてくれる居酒屋)になっています。オススメですのでウィーンにいらした際はぜひ行ってみてくださいね!)。なぜそのようなことになったかというと、ベートーヴェンが異常な引っ越し魔だったから。ウィーン在住約30年の間だけで60回以上引っ越したとも言われています。その理由としては、ベートーヴェンが短気で気分屋だったからというのももちろん関係がありそうですが、むしろ盗作を恐れたから、というのが正しいようです。他人の曲を自分の曲として出版したり、無名な作曲家が作った曲に有名作曲家の名前を冠して楽譜を売り出すようなインチキが横行していた時代でしたから、窓から聞こえたベートーヴェンの曲を、書き写して盗作される危険が十分にあったのです。そしてベートーヴェンをきっかけに、音楽の著作権という考え方も確立されていったのでした。

 
 
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