シューマンに関するコラム
〜トロイメライ Träumerei 2月号〜
第35回 シューマンの失望

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『音楽新報』をウィーンの出版社で発行するには、この地で認可を受ける必要がありました。そこでシューマンはウィーンに到着するやいなや、必要な縁故を結ぼうと試み、ウィーン警察の検察官ヨーゼフ・ゼートルニツキー伯や、楽譜出版社のハスリンガー社、ディアベリ社と話し合いを持ちました。しかし、前回お話したように、この街の言論統制は厳しく、事はうまく運びません。彼がクララへ書いた手紙を読んでみましょう[『ローベルト、クララ・シューマン:愛の手紙』喜多尾道冬、荒木詳二、須磨一彦訳(東京:国際出版社、1986年)から引用しています]。

10月23日 「ヴィーンはぼくを魅了する。ほんとうに久しぶりに、ヴィーンの雰囲気を楽しんでいる。ぼくは自然のなかでの散策がとても好きだが、ここではいたるところに見るべきものがあり、秋の最後の装いをこらした自然は、いまなおとても美しい。この八年間、自分では気がつかぬまま牢獄のなかで暮らしてきたように思えることがよくある。でも、こう言ったからといって、ぼくのあの懐かしいライプツィヒの悪口を言うつもりはない。だって、あの市には、ここ以上に精神的に見て自由な雰囲気があるからだ。しかし、目の保養、またすばらしい陽気な人生の享受に関しては、こことはくらべものにはならないだろう。」

10月25日 「このごろ、いろいろな人やいろいろなことを見て、ここの事情がよくわかるようになった。それから、ぼくたちのためになることがありそうなところへは、どこへでも行ってみた。当地の人には善き意志に欠けてはいないが、共感し、協力して仕事をしようという気持ちがない。いろいろな小さな党派が離合集散を繰り返さずにはいられない。(中略)このヴィーンにも手段はいくらでもあるが、それをひとつに絞り、まとめてゆけるような、メンデルスゾーンのような指導者がいない。(中略)しかし、またしても大きな障害になっているのが検閲制度だ。検閲制度がとても発達していて、すべて削除できるなど、きみには信じられないだろう。」

当時の楽譜出版社の様子

12月28日 「新聞発行の許可は相変わらず出ていない。[中略]それでもなお、ヴィーンにとどまるべきだろうか。[中略]ただひとつわかっているのは、ヴィーンがライプツィヒにくらべて、偏狭な市だということだ。[中略]ここではどんな無知と野蛮が音楽界を支配しているか、きみには想像もつかないだろう。」

12月29日 「もうすでに書いたように、素顔のヴィーンをしばらく経験してみると、ここには欠けているものがあり、きみが来たヴィーンの祭りのときとはちがうものがあることに気づかされる。ぼくの目に映ることを、すべて書きつけようとは思わない。しかし、ここにはなんとつまらない人間がいることか。彼らはおよそ芸術家らしくなく、たがいの悪口を言い合う。そのうちもっとも低俗な連中にいたっては、たいていのことは、虚栄心を満たすことや金もうけといったことになってしまう。その連中の多くは、日がな一日ぶらぶらと暮し、口から出まかせばかり言っている。その平凡さには、ぞっとさせられる。そして彼らはひとかけらの判断力もなく、世間や芸術を受け入れてしまうのだ。(中略)ぼくはよく目的を達せられないのではないかという不安におそわれることがある。」

シューマンのウィーンに対する印象が、初めの熱心な賛美から、次第にこの町の音楽界や、検閲などの統制の厳しさへの失望に変わってきたことが分かります。

来月も彼の足取りを手紙から追います。

 
 
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