〜トロイメライ Träumerei 7月号〜
第4回 ライプツィヒは楽しい!(前編)
<< - 2009.07.01- >>

今月は、シューマンが活躍したライプツィヒの街を訪ねてみましょう。

ライプツィヒ中央駅

シューマンは馬車でツヴッカウからライプツィヒへ「上京」しましたが、今日私たちがライプツィヒを訪れる時にはまずライプツィヒ中央駅を使うでしょう。ドイツは鉄道網が非常に発達している国ですが、ライプツィヒ中央駅はドイツでも最大級の駅です。最上階にはさまざまな列車が乗り入れ、下の階にはショッピングセンターが入っていて、地下にはスーパーマーケットが2つも営業しています。駅前にはトラム(路面電車)やバスの乗り場が集まり、市内の至るところにはりめぐらされたこれらの路線がこの街に住む人々の足となっています。私にとっての初ドイツはライプツィヒでした。中央駅は文字通りライプツィヒの表玄関で、この駅に降り立つと、なんだかここから新しい出会いや体験が自分を待っているような気がして今でもドキドキします。

ライプツィヒはドイツで3番目に古い大学(1409年創立)を持ち、1650年には世界で初めて日刊紙が発行された進歩的な街でした。だからでしょう、多くの文学者や音楽家が集まりました。この街に残る彼らの足跡を見てみましょう。

@通りの名前
ライプツィヒには作曲家の名前を冠した通りがたくさんあります。ワーグナー通り、シューマン通り、バッハ通り、モシェレス(作曲家でメンデルスゾーンの先生)通り、グリーグ通り、ヒラー(作曲家で音楽教師)通り、マーラー通り、テレマン(バロックの作曲家)通り、ショパン通り、メンデルスゾーン通り、クララ・ヴィーク通り…これらは皆、この街と何らかの関連のあった音楽家です。

A聖トーマス教会

聖トーマス教会
トーマス教会のバッハ像

ライプツィヒの最大の見どころの一つがトーマス教会です。バッハは約13年間、この教会の音楽監督を務めていました。音楽監督の職務内容は多岐にわたり、教会の音楽を取り仕切るだけでなく、その付属小学校の教職にも当たり、さらにはライプツィヒ市全体の音楽監督も兼ねていました。大忙しのバッハでしたが、さらに毎週礼拝のためのカンタータを作曲し、街の様々な行事に相応しい音楽も作曲しました。有名な<ヨハネ受難曲>や<マタイ受難曲>を作曲したのもこの時期です。彼のお墓は聖トーマス教会の地下にあります。

後編ではシューマンや同時代のメンデルスゾーン、リストにまつわるスポットをご紹介します!

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