〜トロイメライ Träumerei 8月号〜
第17回 少女クララ
<< - 2010.08.01 - >>

エルネスティーネと婚約したシューマンでいたが、ごく身近なところで美しく成長してゆく少女の存在が徐々に大きくなっていきます。その名はクララ・ヴィーク。シューマンのピアノの師ヴィークの娘で、すでに天才ピアニストして活躍していました。ここでクララの天才ぶりを改めて確認してみましょう。

クララの愛用したピアノ。
現在は武蔵野音楽大学所蔵。

5歳から父親にピアノのレッスンを受け始めたクララは9歳でライプツィヒのゲヴァントハウスでコンサートピアニストとしてデビューを果たし、11歳ではソロコンサートを開きます。当時はコンサートと言えば複数の演奏家によるジョイントコンサートの形が一般的で、1人だけの演奏会はとても珍しいものでした。12歳の時にはゲーテの前で演奏して賞賛され、18歳でウィーン皇帝の御前で演奏して王宮廷内室内楽演奏家の称号を与えられ、当代一流のピアニストとしての地位を不動のものにしました。ゲーテはクララのことを「6人の少年を集めた以上の力がある」と評しました。クララが父ヴィークから受けた教育は「作曲家の精神と意図にできる限り近い演奏をすること」であり、数々の逸話からも、彼女の演奏が力強く、知的で、誠実なものであったことが伺えます。これはそのまま彼女自身の性格にも通じるような気がします。また、今ではごく当たり前のこととして行われている暗譜での演奏も、クララが草分け的存在として始めたことだと言われています。その方が音楽に没入して演奏できるという理由からでした。クララの演奏は今の私たちにも大きな影響を与えていますね。

1830年、クララが11歳の時にシューマンはヴィークに正式に弟子入りし、引っ越してきました。その約3年後の1833年、2人の間に愛情が芽生え始めます。2人の手紙を見てみましょう。

1833年7月13日、シューマンからクララへ
「親愛なるクララ 僕はあなたが生きておいでだか、どんな風に過ごしておいでだか知りたい。お医者さんに何も恋しがってはいけないと固く禁じられました。ことにあなたを…疲れるからです。でも、今日はお医者さんが書くのを止めようとしたので、包帯を取って目の前で笑ってやり、好きなようにさせてくれなければ、病気をうつしてやるとおどかしてやりました。 お話したかったのは、こんなことではなくて、実はお願いなのです。私たちふたりをお互いにつなぎ、まだ思い出させる電力のようなものも今は有りませんから、僕が一つよい工夫をしたのです。 僕は明日11時の鐘がなると共にショパンの変奏曲の中のアダージョを弾きながら強くあなたを思い、あなたに心を集中します。お願いというのは我々の霊魂が逢えるように、あなたにも同じ事をして欲しいのです。我々の分身が出会う場所は、きっとトーマス教会の小門のあたりでしょう。もし満月が現われたら我々の望みが叶ったと認めることにしましょう。ご返事をぜひ待っています。もしあなたが守って下さらねば、明日11時に一本の糸が切れるでしょう。それは僕です。心の底から申し上げます。 」

同日、クララからシューマンへ
「シューマン様 (中略) 私が生きているかとお尋ねですが、もうそれはお分かりでしょうし、どんな風に暮らしているかはご想像がつきましょう。あなたがちっともいらして下さらなくて、楽しいはずがございません。 お願いは承知しました。
明日の11時には私もトーマス教会の小門のところにまいります。」
(原田光子 『真実なる女性 クララ・シューマン』より引用)

その直後、クララは自分の作曲した「ロマンス・ヴァリエ」という曲をシューマンにプレゼントし、その返礼としてシューマンは「即興曲」を作曲します。そしてこの曲のやりとりが、2人の愛を決定的なものとします。この2曲がどんな曲だったのか、来月ご紹介しましょう。

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