前回、《幻想曲》のモットーとして掲げられたシュレーゲルの詩の一節をご紹介しました。「鳴りひびく全ての音を通して / さまざまな大地の夢の中を / 一つの静かな音が聞こえる / ひそかに耳をすませている人のために」という詩でしたね。
この詩の中の「ひそかに耳をすませている人だけに聞くことのできる一つの静かな音」とは何でしょう。実際シューマンの音楽には、心の中に感じる者のみが聴くことのできる響きを持つ個所がいくつもあります。例えば作品1の《アベッグ変奏曲》のフィナーレには、同時に鳴らした和音から一音ずつ指を離すことによってABEGGの音をかすかに聴くことができる個所があります(譜例1)。
《パピヨン》作品2の終わりにも同じような手法が見られます(譜例2)。これらは現代のような大ホールではほとんど聞きとることの難しい響きであり、たとえ大ホールでなくとも、弾く方も聴く方も「心の耳」をすませることで初めて感じ取れるような、そんな種類の音です。
そしてシューマンの最も内省的な面の現れとして《フモレスケ》作品20の第2部に見られる「Innere Stimme=内なる声」を挙げたいと思います(譜例3)。中段に書かれた「内なる声」である音符は実際には演奏されず、ただ心の中で静かに歌われるべき旋律を意味しています。現実的な音響とは関係ないこうした書法や、モットーとしての詩の提示はシューマン独自の詩的世界の現れであり、シューマン以外ではほとんど考えられないことだと思います。
その一方で、シューマンはこの「一つの静かな音」とはクララであると彼女への手紙の中で書いています。この曲はクララのために献呈しようと計画されていました(実際出版された時には、ベートーヴェン記念碑の寄付を提唱したリストへ献呈されましたが)。シューマンは手紙の中で「第1楽章は私の書いた最も情熱的な曲でしょう。あなたへの深い嘆きです」と書いています。
1楽章の最後にアダージョの部分が突然出てくるのですが、この部分の旋律はベートーヴェンの《遥かなる恋人へ》という歌曲集からの引用であると言われています。シューマンが引用したというその歌は歌曲集の第6曲目にあたりますが、「さあ愛する君よ、以前に歌ったこの歌を受け取っておくれ。心の中からほとばしる、ただ憧れだけがこめられた歌を。そしてこの歌で、我々を隔てる邪魔物を消してしまおう」という内容の歌詞が付いているのです。これはシューマンからクララへのメッセージそのものといえます。シューマンは、ベートーヴェン記念碑のためにふさわしい、また自分自身の思いともマッチするベートーヴェンのこの曲を自身の《幻想曲》へさりげなく織り込んだのでした。楽譜を受け取ったクララは「幻想曲を読みながら美しい夢を見ました。このように深い印象を受けたことはありません」とシューマンへの手紙に書いています。聡明な女性であり、なおかつ優れた音楽家であったクララなら、すぐこのメッセージにも気付いたはずです。
シューマンにとっての「一つの静かな音」が自分自身の心の声なのか、クララのことを指しているのか断定することはもちろんできません。しかしロマン派の時代とは比較にならないくらい生活のおけるあらゆる点で進歩を遂げ、ほとんどの情報や物をすぐに手にできることができる私たちにとって、世界がますます雑多な音に満ち溢れ、どこかで静かに鳴っているはずの一つの音に耳をすますことが難しくなっていることは間違いないでしょう。