シューマンに関するコラム
コラム トロイメライ

・〈7月号〉
新天地ウィーンへ!

・〈6月号〉
転機

・〈5月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜ダヴィッド同盟舞曲集 作品6〜

・〈4月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜幻想曲 作品17 そのA〜

・〈3月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜幻想曲 作品17〜

・〈2月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜ピアノ・ソナタ第3番 作品14〜

・〈1月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜ピアノ・ソナタ第2番 作品22〜

・〈12月号〉
クララとの愛で生まれた傑作 〜ピアノ・ソナタ第1番 作品11〜

・〈11月号〉
作風の変化

・〈10月号〉
ヴィーク怒る!

・〈9月号〉
「作品3」と「作品5」

・〈8月号〉
少女クララ

・〈7月号〉
シューマンは筆マメ

・〈6月号〉
シューマンはイケメン?

・〈5月号〉
「《謝肉祭》作品9 〜その5〜」

・〈4月号〉
「《謝肉祭》作品9 〜その4〜」

・〈3月号〉
「《謝肉祭》作品9 〜その3〜」

・〈2月号〉
「《謝肉祭》作品9 〜その2〜」

・〈1月号〉
「《謝肉祭》作品9 〜その1〜」

・〈12月号〉
「音楽新報」

・〈11月号〉
「シューマン、音楽雑誌を作る!」

・〈10月号〉
「評論家シューマン誕生」

・〈9月号〉
「シューマンの「作品1」:《アベッグ変奏曲》」

・〈8月号〉
「ライプツィヒは楽しい!(後編)」

・〈7月号〉
「ライプツィヒは楽しい!(前編)」

・〈6月号〉
「ライプツィヒへ」

・〈5月号〉
「文学少年シューマン」

・〈4月号〉
「シューマンの生まれた街を訪ねて」

その他の情報

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〜トロイメライ Träumerei 7月号〜
第28回 新天地ウィーンへ!

<< - 2011.7.1 - >>

シューマンはまずライプツィヒから生まれ故郷のツヴィッカウへ戻り、そこでしばらく過ごします。1838年9月22日のクララへの手紙には「ここにはつらい別れがある。子どものころ遊んだ山々との、数知れぬなつかしい場所との、最後にぼくの懐かしい両親の墓との別れが。…何もかもうまくいって、ここへ再び戻ってくることができれば、どんなに幸せだろう ―― しかも君を妻として腕を組んで」とあり、故郷を後にする感傷と決意が感じられます。

9月27日にウィーンへと向けてシューマンは旅立ちます。今でこそ非常に鉄道網が発達していて、ドイツから近隣の国までは速く、快適に旅することができますが、シューマンの生きた時代はそうはいかず、ドレスデン、プラハを経由しながら何日もかけてウィーン向かう、というルートでした。

旅の途中では、郵便馬車(そもそもは文字通り、郵便物を運ぶための馬車でしたが、やがて郵便だけでなく人も運ぶようになり、座席にクッションを敷いた6人乗りの乗り合い馬車となりました)に乗りそこなって慌てて馬車の扉の踏み段に飛び乗り、振り落とされそうになりながらずっとしがみついて乗ったり、プラハの音楽家との交流を深めたり、なかなかの珍道中だったようです。それらのことも逐一、シューマンはクララへ手紙で報告しています。

そして10月2日にシューマンはウィーンへと到着します。これから約半年間もの間、シューマンはこの街に滞在し、数多くの名曲を生み出すこととなるのです。

 
 
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